物語も佳境を迎えた『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。11』の感想(その1)です。
今回は,あまり時間がとれないので,とりあえずおおざっぱな感想(とくに雪乃に絞って書きます)になります。
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また,今回の感想記事は,アニメ2期12・13話の感想も兼ねています。
なお,アニメ2期全体のかるい感想は,別の記事に書いています。よろしければ,こちらもどうぞ。midoth.hatenablog.jp
以下,原作11巻までとアニメ2期12・13話のネタバレを含みます。
これから読む・観る予定の方はご注意ください。
雪ノ下雪乃の問題
実は,雪乃については,10巻の感想記事で書いたことに付け足すことはあまりありません。
なぜなら,10巻までで少しずつ描いてきた雪乃の抱える問題を,とうとう真正面から扱ったのが11巻だったからです。
別の言い方をします。
雪ノ下雪乃の抱える問題はすでに事実としては描かれているのです。
それは,他人に依存しなければ生きていけない,ということにあります。
しかし,それだけでは,問題を解決することはできません。
なぜなら,解決するためには,事実と認識の不一致を調整する必要があるから。すなわち,客観と主観のずれを解消しなければならないから。
本当の意味で解決するためには,彼女が何を望んでいるのかが明らかにされなければなりません。そのうえで,彼女が自らその望みを実現できるように,つまり,自立できるように,手助けをしてあげる。
そうして,はじめて,雪ノ下雪乃の救済というテーマは達成されるのです。
そのためには,雪乃の認識を描く必要があります。
彼女に目に世界はどのように写っているのか。それが明らかにされなければ,雪乃の抱える問題は永遠に解決されない。
雪乃の認識する現実はこう。でも雪乃はこうありたいと思っている。両者の不一致を解決するには,どうしたらよいのでしょうか? そういう問題提起をする必要があるのです。
しかし,それは容易でありません。
なぜか。
それは,この作品が,比企谷八幡の一人称という叙述形式をとっているからです。
単視点による叙述
それでは,なぜこの作品は比企谷八幡の一人称にこだわっているのでしょうか。
それは,ひとつの人格はひとつの主観しかもつことができないという制限に求められるでしょう。
人は,自分の目で見ることしかできません。他人の目で見ることはできません。その制限を作中に持ち込んだ。それが,この作品のもつ「リアリティ」です。
他方で,俺ガイルは,ひたすらに,人の生き方・他者との関わり方に切り込もうとしています。
では,以上のような条件の下で,どうやってそれを表現するか。
答えは,「単視点で切り刻め」,です。
つまり,比企谷八幡の一人称を通して,いろいろな角度から対象を観察・分析し,その結果を叙述すればいい。
そのためには,同じモチーフを何度も繰り返し扱う必要があります。
これはキュビスムの考え方に他なりません(この記事の冒頭には掲げたのはピカソの「アビニョンの娘たち」です)。
同じところを何度もぐるぐるして,でもそうすることによって,本質がみえてくる。一度見ただけ,一つの角度から見ただけで,対象の構造を分析し尽くすことはできないのです。だから,何度も繰り返す。
この物語は,ここまで何度も同じことを繰り返してきました。でも,それは無駄なことではない。それこそが,主題を描ききるために必要なことだったから。だから,繰り返してきた。そういうことです。
たとえば,「あるべき自分」をどのように獲得するのか,というモチーフ。
10巻では,葉山の選択が描かれました。彼は,空っぽの自分を,周囲の期待(周りが自分に望むもの)で満たしたのです。そうすることによって,望まれるもの=欲しいもの,ということにしてしまったのです。10巻は,こういう生き方もある,という分析結果が示されていました。
10巻以前も同じこと。バレンタインイベントにこれまで八幡たちが関わってきた登場人物のほぼ全員が参加していました(いないのは,留美,小町,大志,相模くらいでしたね)。そこに現れた人物の数だけ,この作品は分析してきたのです。11巻はその確認。
たとえば,結衣の中の「このまま終わらせたくない」という感情の描かれ方。
それは,まず,バレンタインイベントのあとに雪乃と八幡を誘うところに現れます。次は,バレンタイン前日に,陽乃と対峙した場面で,二人を家に誘うところに。
そして,後半では,「水族館をもう一週しよう」という発言に。
もちろん,その後の,観覧車に乗りたいというのも。
そして,これらは,終盤の「私が勝ったら全部貰う」へとつながっていくのです(詳しくは次の記事で書くつもりです)。
とはいえ,基本的には,これもまた,これまでの積み上げてきたものの確認にとどまります。結衣がどんな人物であるかは,(今振り返れば)1巻の時点で強く示されていたのです。ここまで積み上げてきたものからすれば,「終わり」に向かって動き出すきっかけを結衣が作り出すのは,至極当然の成り行きなのです。
だから雪ノ下雪乃の認識は暴かれ,再現前される
雪乃の問題点にしても同じこと。
これまでの積み重ねで,八幡の主観からみた雪ノ下雪乃という人物像はかなりはっきりしたものになってきていました。
あと足りない情報は,雪乃の内面だけ。
こればかりはどれだけ外部から観察したところで(推測することはできても)確証を得ることはできません。
雪乃自身に語らせる必要があるのです。雪乃の一人称を採用していないこの作品では,そうするほかない。
そして,その準備がようやく整ったのです。
「……私の気持ちを勝手に決めないで」〔中略〕「……私の依頼,聞いてもらえるかしら」*1
この言葉を雪乃自身に口にさせること。そのために,ここまでこの作品はエピソードを積み重ねてきた,そう言っても過言ではありません。
このような事情があるので,11巻の中身が薄いように感じるのはある意味当然。だって,客観的な情報として新たなものはないのですから。
11巻は,客観的に示されている=読者には分かっている事実を雪ノ下雪乃がどう認識しているか,を示しためのものでした。
そして,それは,雪乃の救済というシリーズのテーマを遂げるためには必要不可欠なことなのです。
もう一つの表現方法 - 対比
八幡の一人称という制約を受けるこの作品で好んで使われるもう一つの表現方法が,対比です。
似ているけどどこか違うものを並べることによって,本質を際立たせるわけです。
八幡と葉山。雪乃と結衣。奉仕部と葉山グループ。
陽乃と雪乃。雪ノ下姉妹と比企谷兄妹。雪乃母と結衣ママ。
小町といろは。陽乃といろは。いろはとめぐり先輩。八幡と海老名さん。同性愛と異性愛 etc....
とりあえずのまとめ
というわけで,俺ガイル11巻の感想その1でした。
きちんとした感想は,その2として,また後日書く予定です。
7月の中旬までにはなんとかしたいと思っています。
追記:つづきを書きました。こちらになります。
由比ヶ浜結衣のモノローグ - 『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。11』感想(その2) - In the Midst of Thinking
雪ノ下雪乃の依頼 - 『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。11』感想(その3・完) - In the Midst of Thinking
midoth.hatenablog.jp
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